「某復刊.comからメルマガ来たと思いねえ」
「うん。たくさん投票が集まると復刊できるというサービスだね。それで?」
「『伽藍とバザール』(最終得票数 3 票)という記述があって目が点になった」
「3票!?」
「その下にあったのは■『Common Lisp オブジェクトシステム CLOSとその周辺』(最終得票数 128 票)ということで、まあ少部数印刷でも少なくとも100部単位のロットは必要かなと思った」
「印刷は最低でも100部単位?」
「オンデマンド印刷とかそういう技術を使えばもっと少ない部数でも行けると思うけど、数が減ると高く付きそうだ。まあその方面は詳しくないから何とも言えないけど」
「そうか。値段10倍でも復刊したら買いますという信任投票とも言えないからね」
「うん。だから、単なる編集ミスであり、3票ってことはないと思っていた」
「そうだろうね。さすがに3票で復刊はあり得ないだろう」
「でもさ。このページを見て考えを変えた」
「というと?」
「配送時期 2010年8月下旬ということは、未発送なんだ。その段階で、在庫 40という数字は40部しか復刊しないという意志の表れなんだろう」
「40部って、これも少ないね。3部よりはマシだけど、これもかなり少ない」
「40部というのは、おおむね学校での1クラスだ。今は知らないが、生徒数の多い子供の頃は、だいたい1クラス40人ぐらいだった。そして、そのクラスが小学生のとき1学年6クラスあった。これが6学年ある」
「ということは、6×6=36クラスということだね。1つの小学校の総生徒数の僅か1/36でしかないわけだね」
「ここで注目すべき点は、僅か40部でも印刷して製本してたかが2,730円[予価]で販売できる技術力の向上と、オープンソースのバイブルである伽藍とバザールに僅か3票しか入っていないことにある」
「技術の向上は確かに凄いね。昔に比べて小規模印刷の能力は格段に上がったのじゃないか?」
「しかし、それが活用されているのかといえば、また別問題だ」
「そうか。投票した人がたった3人では、活用したい人もあまり居ないわけだね」
「おそらく在庫 40というのは、運営側の需要予測が40部ということなんだろう」
「そうだね。世の中の主流は本を電子化して体積を圧縮したいわけだしね」
「貴重な本の現物ならともかく、復刊したものでしかないなら電子媒体の方がいいのかもしれない」
オマケ・でももうちょっと屈折があるかもしれない §
「でもさ。この話はもう一ひねり、屈折があるかもしれない」
「というと?」
「投票が集まらないのは、オープンソースのバイブルだから、かもしれない」
「どういうこと?」
「オープンソースというのは、基本的に金を払いたくないという思想なんだ」
「え? ソースを公開するという思想じゃないの?」
「実際にほとんどユーザーはソースを読んでないそうだ。そして、Linuxも有償のサポートがある版よりも、無償の実験ディストリビューションが大人気だそうだ。実際に、金を取るサービスを実験ディストリビューションを使って堂々と行っている事例も珍しくないらしい。信者は口先ではソースを公開することが重要だと言うが実際の行動は無償重視にしか見えない」
「どうしてそうなるの?」
「さてね」
「おいおい。本当にやる気無さそうだね」
「まあ、言えることは2つだけある。それにも関わらずオープンソースは金儲けの手段であり、金を出す人がいる。しかし、多数派の信者は金を出したくない層だ」
「あれ。そうか。そうすると、少数の金を出す人は見込めるから復刊は成立するけど、その人数は少ないってことか」
「そうだ」
「屈折してるね」
「いやいや。真の屈折は、金を出す気があるユーザー層からはぜんぜんオープンソースが支持されていないことが、結果として浮き彫りになっていることだ」
「その、金を出す気があるユーザー層ってどこにいるんだい?」
「一説によるとiPod/iPhone/iPadだそうだ。実際は儲からないという話もあるけどね」
「でも、確かにiTunes Storeに有償のプログラムがたくさん並んでいて、けっこう話題になるね。XXが面白かったとか」
「だからさ。オープンソースでビジネスがしたい人たちは肩すかしかもしれない。それが、今になってもう1回バイブルの本を読みたい理由かもしれない」
「上手く行かないのはなぜかって、読みたいわけ?」
「そうだ。時間が経てば支持されるはずだという主張はあったが、実際にはブームがしぼんでしまっただけだ」
「読めば分かるのかな?」
「さてね、そこまでは知らない」
「答えを言う気は無いんだね」
「無いよ。だいたい、今どうなっているのかもさほど知らないのに答えを言えるわけがないだろう」
「じゃあ、読者は君の話を信じていいのかい?」
「信じられるわけがない。見ず知らずの他人の言うことを、頭から素直に信じるのは阿呆のすることだ」
オマケ2・本当に『伽藍とバザール』価値はあるか? §
「1つだけ最後に教えてくれよ」
「何をだい?」
「『伽藍とバザール』ってどうなんだろう? 買う価値はあるのかな? つまり、買うという態度と買わないという態度、どちらが正しいの?」
「じゃあ、ここからは態度を明確にして答えよう。小学校の学芸会ではだかの王様のペテン師Bを演じた立場であり、なんちゃってアマチュア歴史研究家としての立場だ」
「うん。それで?」
「更に、『伽藍とバザール』という本は読んでいないが、同じタイトルの短い文章はネット上で読んだことがある。その前提で答えてもいいかい?」
「ああ、それでいいよ。聞きたいのは君の個人的な意見だからね」
「まず、『伽藍とバザール』で書かれている方法論は実際には実行できない。技術的には穴だらけの文章で、まともな人間が読めばまず眉に唾を付けたくなるような文章だ」
「なぜ実行できないと言い切れるの?」
「やってみればすぐ分かる」
「じゃあ、読まなくてもいいのね」
「いやいや。話はまだ途中だ」
「というと?」
「この文章は、あり得ない結論を少数の人間に信じ込ませるシステムとして捉えると、また違った読み方ができる」
「ええ?」
「だからさ。この文章は基本的にカモとして選定された人間にあり得ない結論を事実であると信じ込ませる文章なんだよ。そういう前提で読むと話が違ってくる」
「どういうこと?」
「文章の穴とは、カモにとっての盲点だからそこに穴があってもいいことになる」
「穴が見えないなら信じてしまうじゃないか」
「だから、過去のある時点で、ある種の人たちは信じてしまったんだよ」
「そうか。信じてしまったのか」
「まだ信じてる人もいるみたいだが、ここでの本題ではないので除外する」
「うん」
「だからこの文章は、実はソフトウェアに関する技術文書として読んでもあまり意味のある効能はない。しかし、いかにして人間心理の盲点を突くかという1つのケーススタディになっている」
「1つの、ってことは他にもあるの?」
「これは、ペテンの定番であるの無限エネルギーの1バリエーションなんだよ。コストを掛けずに優秀なソフトウェアが無限に生まれてくるというのは、要するに無から有を手にれるということなんだ」
「ええっ?」
「だからさ。世界を騒然と震撼させた過去の事件を研究する歴史研究家としては、入手して子細に検討する価値がある本だと思うよ。そういう意味では持っている価値がある貴重な1冊かもしれないな」
「君も買うのかい?」
「まさか。おいらの研究対象にそれは入っていないからね。それに、そんな本を買って信者と間違われるのもごめんを被る」